会社は、人を喜ばせるためにある | 導入事例 | Talknote

会社は、人を喜ばせるためにある

株式会社 一家ダイニングプロジェクト
代表取締役社長武長 太郎

1977年生まれ。1997年、20歳で”有限会社ロイスカンパニー”を設立し、直営一号店”くいどころバー一家(現こだわりもん一家)本八幡店”をオープン。2000年に”株式会社一家ダイニングプロジェクト”に商号変更。2006年には外食産業の活性化のため、千葉の外食企業を集めた勉強会”千葉フードリーム”を立ち上げる。2012年、ブライダル施設“The Place of Tokyo”を東京都港区にオープンし、ブライダル事業に参入。あらゆる人の幸せに関わる日本一のおもてなし集団の代表として躍進を続け、2017年12月12日、東証マザーズ上場。

https://www.ikkadining.co.jp/

離職から、想いの大切さを学ぶ

1997年12月12日、20歳の時に居酒屋 ”くいどころバー一家(現こだわりもん一家)”を千葉県の市川市にオープンさせました。1店舗目は、自分が現場に入り、来店されたお客様を楽しませたり、社員やアルバイトメンバーとも良い関係性をつくり、地元で一番の繁盛店にすることができました。それ以降も2店舗3店舗と順調に拡大させ、5店舗目までは自分が店長として現場に入り続けてきたのですが、その頃からもっと効率よくお店を拡大していきたいと思うようになってきました。

どのようにしたら効率良く店舗運営していけるのか? 売上や利益を伸ばしていけるようになるのか? などと考え始めた結果、店舗運営を標準化するためにマニュアルを作成したり、意思決定もトップダウンにして階層型の組織として運営していくことを決めました。今まではアルバイトメンバーでも質問があった場合は僕に直接聞いてくることも多かったのですが、階層型の組織にしようと決め、質問に対しては「直属の上司である店長に確認してくれ」という回答をするようにしました。僕自身もアルバイトメンバーに何かを伝えなければならない時は店長を通して伝えるようになりました。

2002年、トップダウンで店舗運営を進めていたところ、お客さんの入りが悪い日が続くようになってきました。その年は日韓のワールドカップがあった年だったので、僕はお客さんが入らない原因はワールドカップだろうとずっと思っていました。

しかし、ワールドカップが終わった後も売上は戻らず、2年間、10%くらいずつ売上が下がり続けました。当時、売上管理を任せていた社員に通帳を見せられた時、5店舗一気に出店したこともあり、毎月数百万円づつキャッシュが減っていて、口座には5,000万円は入っていると思っていたのに、実際の残高は2,000万円程になっていました。

5,000万円あった資金が一気に2,000万円にまで減ってしまい、金融機関への返済も重く、資金繰りも考えていなかったので、何とかしようとメインバンクにいきましたが、既に限度額を貸している為これ以上貸すことはできないと言われてしまいました。当時の僕は経営の初心者であり、年齢も24、25歳で、金融機関から見た会社の信用は全くありませんでした。

このままいくと資金がショートしてしまうと焦って対策を講じるのですが、今思えばその時やったことは本当に浅はかでした。まず、少しでも売上を伸ばす為に営業時間を朝4時までに伸ばしたり、それまでは入っていた社会保険を止めたり、考えられることは全てやりました。

2003年4月、調子がよかった時期に事業を拡大していくための新卒採用を行い、5人の採用が決まっていたのですが、新卒の子達が入社する時期には会社の雰囲気が悪くなり始めていて、入社前「ホールで店長をやりたい」と言っていた新卒社員に、入社2日後に「キッチンの人が足りないからキッチンをやってほしい」といきなり配属することもありました。

会社を立て直すために試行錯誤していたつもりでしたが、会社の雰囲気はどんどん悪くなっていき、僕がオフィスに一人で居るときに離職の電話を受けることもあり、最終的に社員は20人程いたうちの半分である10人が次々に辞めていきました。

今まで一緒に働き、景気が良い時は、「社長は若いのにすごい」と尊敬してもらい仲良くしていたのにも関わらず、景気が悪くなった途端に見切りをつけられたような、とても寂しい気持ちになりました。しかし、今思えば皆が辞めていったことから学び、その後の経営に活かすことができたから、沈みかけていた船が沈没することなく、今も会社があるのだと思います。

株式会社 一家ダイニングプロジェクト インタビュー風景

社員の成功を支援することが自分の仕事

僕は当時、これらの方法が会社を守る為に最適だと思っていましたが、後になって考えてみると、会社が悪くなった時に僕が行った施策は、全く社員の為にならないような、むしろ社員に辞めてくれというようなメッセージを送っているような内容でした。売上は伸びず人も辞めていくどん底の1年間が続きました。

そんな中、新卒で入った5人中2人は今でも残ってくれています。僕が2人に対して、多くの社員が辞めていく中でどう思っていたかを聞いたことがあったのですが「早く料理長や店長になれるチャンスだと思った」と答えてくれました。凄く考え方が肯定的でポジティブだと感じました。

多くの社員の離職は一気に事業を拡大しようと思っていた矢先の出来事だったので、夜眠れなくなったり、これからまた人が辞めていくんじゃないかという不信感にとらわれるなど、若くして独立したことや会社をつくったことに後悔をしていました。

柏にあったお店を覗きに行った時があったのですが、そのお店は今も残ってくれている新卒の2人に任せっぱなしで、放置していたのにも関わらず、不器用ながらも一生懸命働いてくれていました。その日は店が混んでいて忙しい中、普段顔を出さない僕に対して「僕達、頑張っていますから安心してください!」と言ってくれ、また、僕が帰る時もわざわざ手を止めてまでお見送りに来てくれて「社長も頑張ってください!」と言ってくれました。

僕はお店を出た瞬間、涙が溢れてきました。僕が勝手に大きな夢を語り、勝手につくった会社で、2人は何も分からない中、捉え方によっては騙されたような環境へ入社したのにも関わらず、そんな言葉を投げかけてくた。それなのに僕は、会社をつくったことに後悔をして

いて、自分は何をやっているんだと我に返りました。

僕は20歳の頃は知識も経験も何もない中、大繁盛するお店をつくることができていました。僕ができていたのだから2人のようにまだまだ若い人たちも大繁盛するようなお店をつくることができるのではないか、僕はそれができるような支援をさせてもらうようなことが仕事なんじゃないかと思い、それをきっかけにトップダウンの考え方を止め、過去につくったマニュアルなども廃止にしました。

株式会社 一家ダイニングプロジェクト インタビュー風景

社訓は、自分を励ます言葉

売上も上がらず資金繰りに悩んでいた2006年頃、東京三菱銀行とUFJ銀行が合併することが決まり、対等に合併できるようUFJ銀行が融資額を増やしはじめていたので、幸運にも僕が借りたい金額より多く資金を調達することができました。1年先までのシミュレーションも現実的なものとなり、まだ低迷してはいるものの、ここで先が見える状態になりました。

そこから僕は経営の勉強をするために、『ビジョナリー・カンパニー』、『人を動かす』、ドラッカー、松下幸之助、本田宗一郎や稲盛和夫など、多くの本を読み漁りました。昔は本を読むのが嫌いだったのに、一回悩んで苦しんだ経験があったので、本の言葉1つ1つが凄く響き、改めて自分は本当に間違った経営をしていたと感じました。

一番最初につくった経営理念に向かって進んでいく中で、道に迷ったり、辛いことがあったりした時に道しるべになる、社員としての基本的なスタンスや行動基準を定めたものがあった方がよいと思い、社訓をつくることにしました。社訓は7ヶ条あるのですが、つくる際に書いては消して書いては消してを繰り返し、最後に声に出して読み上げました。それは、全て自分に訴えかけ、自分を励ます言葉でした。その社訓をトイレに張ったり、家の天井に貼ったりして、まずは自分が体現し、その後自信を持って社員に会社の社訓にすることを伝えました。

2005年頃、僕は本から様々な知識を得ましたが、本に書いてあることは知識のみで、リアルな体験として勉強ができたのは”居酒屋甲子園”という飲食関係者の集まりで出会った仲間からです。

全国の繁盛しているお店の方や、リーダーをやって凄いチームをつくっている方の考えや行動は、百聞は一見に如かずで、実際に会議や朝礼をしている姿などは体験しないと分からず、こういうことは本では学ぶことができないということも学び、知識と体験の両面で学んだ時期でした。様々なことを学び、最初は見よう見まねで他店の良いと思ったことをそのまま取り入れていましたが、1つ1つの施策を個別にそのままやっても他の施策と一貫性が弱かったり、自社の文化に合わない部分もありました。

そこで、何が自分達らしいのか、何が自分達らしくないのか、しっかり本質を考え、新しいことを取り入れては自分達らしくブラッシュアップする、ということを繰り返し、今の自分達らしい取り組みがたくさんでき上がっていきました。

株式会社 一家ダイニングプロジェクト インタビュー風景

原点に戻り、店に魂を込める

僕が本を読む中で、響くことが多かったのは生き方や人間としてどうあるべきかという内容の本でした。

社員を家族だと思い今までやってきたので、自分が良いと思ったことは皆にも教えたいし、「こういう生き方をしよう」と伝えていきたいと思っています。

もともと人を楽しませたり喜ばせることが好きでした。20歳の時に初めてお店を出し、その半年後に生まれた経営理念こちらです。

一、お客様、関わる全ての人と喜びと感動を分かち合う。

二、誇りの持てる「家族のような会社」であり続ける。

三、夢を持ち、限りなき挑戦をしていく。

5店舗目までは、その原点である経営理念を基に、お客様やスタッフが喜ぶことを考えながら営業していたのに、5店舗目以降はその気持ちを忘れ、お店を拡大させる為にオフィスでパソコンと電卓と向き合う日々が続くようになりました。日々の仕事でいっぱいいっぱいになり、本来は一番大切にしたかった経営理念のことを意識する余裕がなくなってしまい、その結果、会社がどん底まで落ちて行ったのだと思います。

人は嬉しいことをしてもらうと自分も相手にそれを与えるようになります。会社は人を喜ばせる為にありますが、当時の僕は相手に喜びを与えることを忘れ、自分のことばかりを考えるようになっていました。経営者である自分がそうなってしまった影響で、人を喜ばせることができない会社になり、業績は落ち、人の教育もできず、今日売上を上げるにはどうしたらいいか、資金繰りはどうするかなど、目先のことばかりを考えるようになりました。僕はそこに気付いた時、そんな自分が嫌だと感じました。

2006年頃、まだ売上が戻ってこない時期に、短期で出店費用を回収できる居抜き物件で、当時ブームになっていたホルモン屋などを、店に魂を入れることもなく出店していました。同時に、短期的に売上や利益には繋がらないけれど、組織を良くしたいと思い組織づくりにも力を入れ始めました。2、3年後くらいから居抜き物件で出店した店はダメになっていったのですが、組織づくりが功を奏し、元あった一家業態が盛り返してきました。

1店舗目を出してから10年目の2007年には、10周年ということで社員、アルバイトメンバー全員で富士山に登りに行きました。その時、全員で円になって「一緒に登れてよかったね」と、みんなで涙しました。

当時、成田の物件が契約済みの状態で、どんなお店をやろうか考えていたタイミングだったのですが、一番最初に出したお店でもある一家をやろうと、みんなで一緒に来た富士山で決めました。

今までの自分の原点の想いと、今まで見てきたいろんな飲食店から学んだことの全てを取り入れ、また、魂をしっかり込めて今の一家ダイニングの原型でもある”新生一家”をつくったのですが、それがものすごく繁盛しました。この成功をきっかけにして、居抜きのお店は全て閉め、それ以降は全て自分たちの想い、魂を込めてお店をつくっています。想いは本当に大切です。

株式会社 一家ダイニングプロジェクト インタビュー風景

誰もが褒められ、認められる組織

一家塾という社長塾を、教育研修の場として月に1回催しています。今は、全社員が集まり経営理念について学ぶ場になりましたが、もともとは僕が良かったと思う本を社員にも読んでもらいたくて渡しても、中々読み進めてもらえなかったことが、スタートのきっかけです。

本には大切な考え方が書いてあり、それを知っているのと知らないのでは人生が大きく変わると思っていたので、本を主体的に読む仕組みをつくろうと思いました。ここでは事前に本を読み、感想を書き、その感想共有をグループごとにするのですが、それぞれが違う視点を持っているので、ディスカッションを行い、意見を全体に発表します。一冊の本から、学びを共有することで仕事に活かせることなども発見することができます。

良い組織をつくる為には、褒められることや認められること、ねぎらわれる時間を増やしていくことが大切です。

”ありがとうの会”という、星型のカードに今月最も自分がありがとうを伝えたい人に直筆でメッセージを書いたカードを読んで渡す取り組みを行ったり、社員が昇給する際に、なぜその人が昇給したのかを上司が昇給の理由を作文のように書き、みんなの前で発表する場を設けています。部下も嬉しい気持ちになり、上司も部下を育てる喜びを感じることができます。このように、自分が存在することがどれほど重要なのか、ということをどれだけ感じてもらえたかが大切です。自分がして貰った嬉しい経験があればある程、自分の周りに返していこうと、他の人に目が向くようになります。

また、社内イベントも盛んに行っていて、過去にはアルバイトメンバーも含めて夏の御宿のバーベキュー大会や全店対抗ボーリング大会、全店のプレゼンテーション大会や卒業式などを行いました。現在では “Fun to IKKA”と称し、全スタッフと行くバースデー会やフットサル大会などを行っています。僕がイベントを行う中で一番大切にしているのが参加率で、現在は全体の90%がイベントに参加しています。

なぜ参加率を重視するのかと言うと、楽しかったり嬉しい体験をする人が多ければ多いほど、自分が体験したことと同じように相手にも与えてあげようと思うので、良い連鎖を生むことができるからです。そして社内での嬉しい連鎖は、お客様に対しても繋げていくことができます。

このような1つ1つの取り組みがいい組織をつくるために必要なことです。

株式会社 一家ダイニングプロジェクト インタビュー風景

コミュニケーションには楽しさが必要

社内でのコミュニケーションには、Talknoteを使っています。導入するまではLINEでコミュニケーションをとっていました。そして日報はGmailを使うなどしてツールを使い分けていました。もともとコミュニケーションに対しての課題感はなかったのでTalknoteの導入は不要だと思っていましたが「活発だからこそ必要」と小池社長に言われたことがきっかけで導入に至りました。

導入後は、もともとコミュニケーションが上手くいっていたこともあり、Talknoteはすぐに浸透し、全員使うことができました。

そして、Talknoteでそれまで以上にコミュニケーションをとるための取り組みも行いました。

僕は業務の連絡だけだと楽しくなく、見なければいけないという義務感も生まれてしまうと思い、楽しい記事を投稿することができる”ワクワク掲示板”というグループを作成しました。このグループは、楽しかったことや嬉しかったこと、芸能人がお店に来たなど投稿するグループです。最初の方は、芸能人の来店自慢大会になっていました(笑)

また”褒めチクリ掲示板”という、陰口ならぬ陰褒めをするグループがあり、誰かが良いことをしていたら、それを隠れて写真に取り「こんな良いことをしている人がいました」などと、他人のいいところを自慢し合うグループがあります。コメント、いいね!や後輩から先輩に感謝を伝える投稿などが数多くされています。

1997年12月12日に1店舗目を出してからちょうど20年になります。20歳で創業し、様々な困難はありましたが、会社のことを毎日考えていると、どんどん愛情が増して、いつも会社の話をしていたくなります。ここまで来ることができ、過去を思い返しましたが、会社設立5~6年の時にたくさん転び、たくさん痛みを知ることができて良かったなと思います。起業期、苦悩期、迷走期など、今にたどり着くまで凄く時間はかかりましたが、これらの経験は全て宝物です。そして、何事も諦めないで食らいついていくこと、想いをしっかり持ち続けることが大切だと思っています。

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